犯人が酒瓶を忘れただけなのに。警察は複数犯の犯行だと決めつけた!

「思い込み」警察はなぜかひらめいた。直観と言うやつだ。
これだけ計画的に見える犯行にも関わらず、指紋のついた酒瓶を忘れるとは。これは絶対に複数犯による犯行だと。
そして、犯人Xに対する自供の強要は、拷問へと変わり、日増しに過激になっていく。
おれが一人でやったんだ、といくら言っても一向に信じてもらえない。終わりのない24時間休みなく続く過酷な拷問により、とうとう彼は、友人の名前を口にしてしまう。ほぼ精神崩壊に近かったのかもしれない。

寝耳に水とはこのことだろう。
何のことかさっぱりわからず、残虐な殺人犯にされ、どんなに証拠を言っても、全く聞く耳を持たない。
たくさんの証拠があるにも関わらず、その証言者の人たちを警察は、なんと偽証罪で逮捕すると言う、あり得ない強硬手段を使って追い込んでいく。もう狂気と言う他ない。
何を言っても全く信じてもらえず、執拗で陰湿な、絶対に自分は正義だと信じてやまない悪魔が、果てしのない拷問を続ける。される方にとっては、たまったものではない。
警察に少しでも冷静さがあれば、彼らが犯人かどうかを疑うはずであろう状況証拠が揃っていたはずだが、警察発表をした瞬間から、既に警察は、自分で自分を止められない、自分の判断を疑うことすら罪であるかのような、引き返せないところまできてしまっていた。

この表を見てほしい。広島高裁が1953年に、一度は死刑を含む有罪判決を下している。
しかし、書籍になり、世間の注目を浴びると一転、その6年後の1959年には無罪の判決になるのだが、警察が上告し、最高裁が棄却すると、また最初の判決と同じ内容の刑を下しているのだ。
この主体性のない存在はなんなのだろうか。
そして、この広島高裁から3年後の1968年に、犯人以外の全員が、最高裁で無罪を勝ち取っている。

この裁判所のドタバタ劇は一体なんなんだろうか。山口地裁の裁判官は、後に彼らは無罪だと言う本を書いているのだが、警察の自供による証拠が如何に信用できないかがよくわかる。
自分の目で見、自分の頭で考えることなく、一方的な警察側の証拠だけを判断材料に、裁判官と言えども、冷静な判断力を失い、多くの証拠を無視して、人の人生を大きく狂わせるような判決を下せるものなのだろう。

判決日裁判所判決X阿藤ABC
1952年6月2日山口地裁全員有罪無期懲役死刑無期懲役無期懲役無期懲役
1953年9月18日広島高裁全員有罪無期懲役
(確定)
死刑懲役15年懲役12年懲役12年
1957年10月15日最高裁事実誤認として差戻し
1959年9月23日広島高裁X単独犯行で4人は無罪無罪無罪無罪無罪
1962年5月19日最高裁破棄差戻し
1965年8月30日広島高裁全員有罪死刑懲役15年懲役12年懲役12年
1968年10月25日最高裁X単独犯行で4人は無罪無罪
(確定)
無罪
(確定)
無罪
(確定)
無罪
(確定)

犯人であるXは、20年ぐらい服役後に出所。その後、殺人未遂を起こしてまた服役。49歳で獄中病死している。

冤罪の阿藤氏は、2011年に亡くなるまで、死刑廃止のために活動したと言う。冤罪によって死刑判決を受けると言う衝撃的なことが起きて17年も苦しめられれれば、そのような考えに至るのだろう。この人の気持ちも理解できるし、それを言う権利はあると思う。

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